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合気道って昔からあるの?

歴史

合気道のルーツは柔術にあります。「会津藩御止め技」として門外不出のまま代々伝えられてきた、『大東流合気柔術』という柔術を母体に作られました。そのため、武田惣角(タケダソウカク)先生が明治時代になって初めて世に公開されるまで、一般にはその存在すら知られていませんでした。柔術は剣道の前身である剣術の裏技として、剣を使わずに相手を倒すための技術(体術)として存在したものですので、合気道のルーツは柔道や剣道に近いところにあります。

合気道という名称は、武田惣角先生の門人植芝盛平(ウエシバモリヘイ)先生が、大東流に我が国古来の各流各派の武術の精髄を取り入れ、それに独自の工夫を加えて昭和期に確立されたものです。

合気道養神館と合気道の近代史

現在合気道にはいろいろな流派がありますが、合気道の源流として武田惣角先生の教えを残す「大東流合気柔術」があり、植芝盛平先生の弟子たちが独立して興した「合気道」として多く存在します。

中でも合気道養神館は1956年に植芝盛平先生の高弟であった塩田剛三(シオダゴウゾウ)先生が創設し、それ以前は曖昧であった基本の動きを体系化するなど、より多くの人が理解できるように創意工夫を重ね、合気道の普及発展に大きく貢献してきました。警視庁機動隊を始め警視庁婦人警官の必修課目にもなっており実戦合気道の総本山として武道界にその名をとどろかせています。

塩田剛三先生

達人と呼ばれた合気道家であり、曖昧であったそれまでの合気道の技法や理合いを明確にし、合気道の普及発展に大きく貢献しました。

18歳の時、植芝道場を見学した際、植芝盛平先生に勝負を挑み完敗し、合気道の素晴らしさに惹かれ即日入門しました。以後、約8年間植芝盛平先生のもとで修行に励みました。終戦後、茨城県岩間に居を構えていた植芝盛平先生の下で、再び修行に励み、1961年には植芝盛平先生から当時最高位である九段の免状を受けてました。

1956年に合気道養神館を設立し多くの弟子を育て上げました。小柄な体格ながらその技のキレ、集中力は凄まじく、達人の名にふさわしい、また豪快かつユニークな人柄で多くの人を魅了してやみませんでした。

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